BLUE歌词文案
青空
二人(ふたり)出会う(であう)时(とき)は、
futali de a u toki wa
空(そら)が何时(いつ)でも晴れ(はれ)てて、
sola ga yici demo hale tete
自慢(じまん)する君(きみ)の笑颜(えがお)、
jiman silu kimi no ai ga o
とても爱し(いとし)かった、
totemo yitoxi ka_ta
距离(きょり)を越え(こえ)て君(きみ)が会い(あい)に来て(きて)くれたことが、
kyoli o ko e te kimi ga a yi ni kite kuletakotoga
何(なに)よりも嬉し(うれし)かった、
nani yolimo u lexi ka_ta
幸せ(しあわせ)かみ缔めた(しめた)、
xi a wa se kami ximeta
空港(くうこう)の驻车场(ちゅしゃじょう)で、
kuu koo no qiu xia jiyo de
隠れ(かくれ)ながらKISS(キス)をしたね、
kakule nagala kisi o xitane
二人(ふたり)また会え(あえ)る日(ひ)を
futali mata a i lu hi o
誓い(ちかい)合い(あい)手(て)を振った(ふった)、
qikayi a yi te o fu_ta
こんな日(ひ)が何时(いつ)までも、
kon na hi ga yici mademo
続く(つづく)こと愿ってた(ねがってた)、
ciziku koto nega_teta
心(こころ)から愿ってた(ねがってた)、
kokolo kala nega_teta
受话器(じゅわき)握り(にぎり)缔めて(しめて)、
jiu wa ki nigili ximete
君(きみ)の返り(かえり)を待ってた(まってた)、
kimi no ka e li o ma_teta
疲れ(つかれ)てる君(きみ)の声(こえ)を
cikale telu kimi no ko e o
何度(なんど)も励ました(はげました)、
nan do mo hagemaxita
傍(そば)に居てや(いてや)れない、
soba ni yiteya lenayi
距离(きょり)に切なく(せつなく)なるけど、
kiyo li ni secinaku nalukedo
本当(ほんとう)は仆(ぼく)のほうが、
hon too wa boku no hoo ga
傍(そば)に行き(いき)たかった、
soba ni yiki taka_ta
仆たち(ぼくたち)が出会って(であった)顷から(ころから)、
bokutaqi ga de a_ta kolokala
分か(わか)ってたことだったのに、
waka_teta kotoda_tanoni
君(きみ)に无理(むり)させたようで、
kimi ni muli saseta yoo de
优し(やさし)さが足り(たり)なくて、
yasaxi saga tali nakute
青空(あおぞら)にも薄云(うすぐも)が
a o zola nimo wusi gumo ga
指す(さす)ことを忘れ(わすれ)てた、
sasi koto o wasile teta
最后(さいご)まで悩ん(なやん)でた、
sayigo made nayan deta
君(きみ)の声(こえ)思い(おもい)出す(だす)、
kimi no ko e o mo yi dasi
傍(そば)に居る(いる)大切(たいせつ)さを、
soba ni yilu tayi seci sa o
身に(みに)染み(しみ)て思い(おもい)知る(しる)、
mini ximi te o moyi xilu
少し(すこし)づつ寂し(さびし)さに包まれ(つつまれ)て行く(ゆく)、
sikoxi zici sabixi sani cizimale te yu ku
君(きみ)のこと分からず(わからず)に时(とき)が过ぎて(すぎて)いた、
kimi no koto wakalazi ni toki ga sigite yita
戻れ(もどれ)ることなら戻り(もどり)たくて、
modole lu kotonala modoli takute(这句听歌里唱的怎么都不像koto,而像mono)
心(こころ)から好き(すき)だった、
kokolo kala siki da_ta
心(こころ)から爱し(あいし)てた、
kokolo kala a yixi teta
これからもまだ谁(だれ)か好き(すき)になるだろうけど、
kolekalamo mada dale ga suki ninalu da loo kedo
でも仆(ぼく)は忘れ(わすれ)ない、
demo koku wa wasilei nayi
君(きみ)は仆(ぼく)の青空(あおぞら)で、
kimi wa boku no a o zola de
何所(どこ)に居(い)ても君(きみ)のこと、
doko ni yi temo kimi nokodao
何时(いつ)までも愿ってる(ねがってる)、
yici mademo nega_telu
幸せ(しあわせ)で居(い)て欲しい(ほしい)。
xi a wase de yi te hoxiyi
原翻译:
两人相遇的时候,天空一直都很晴朗.
你总是对你的笑脸很自豪,真的是很可爱.
你从远处来见我,
让我比什么都开心,体会到幸福的含义.
在机场的停车场,我们偷偷地接吻了.
我们相互约定下次见面的日子,挥手告别
心里期待这样的日子一直直到永远,
拿着电话,等着你的回应
你声音疲惫,我一直激励着你..........
不能在你身边,距离让人难受
其实我也想飞到你身边
这是从我们相遇那一刻就注定的结局...
是我不够温柔,让你迁就了我
我们忘记了相遇时那蔚蓝的晴天。
到最后苦恼困扰着我,想起了你的声音。
深刻地体会到,一直在你身边是多么的重要
一点一点被寂寞包围
没有你的消息,时间一天一天过去
如果能回到从前,重头再来....
从心中喜欢你,从心中爱过你。
从今无论我喜欢上了谁。
但是我绝对不会忘记,你是我的青空。
无论在哪里的你,我都会为你祝福。
你要幸福!
你可以看看是不是这首
《泪桥》专辑中“可能是伍佰&China Blue迄今最好听的一张专辑”这句宣传语,伍佰表示这样自信的说法其实唱片公司企划的文案,这次写歌回归到自然写歌的层面,伍佰不经意流露出无欲则刚的大师风范,《泪桥》所有歌曲的深度情怀及耐听度,成就了伍佰&China Blue迄今最好听的专辑。至于专辑名称《泪桥》,伍佰表示,他想要表达每个人与人之间都有一座桥,而这座桥是用眼泪做成的。台湾知名漫画家水瓶鲸鱼从1992年开始就去pub听伍佰演唱,作为超级伍佰迷,在听了《泪桥》这首歌之后,水瓶鲸鱼把《泪桥》比成“经典偶像剧般、充满爱情感动的一条桥”,她认为整张专辑里有一个崭新并靠近大家内心深处的伍佰。